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江戸時代の武士の仕事はこれ!

2015.11.20

武士といえば、主君に仕え、主君のために戦うのがその役目で仕事です。

しかし、江戸時代に入ると、戦のない天下泰平の世となります。

平和な時代の武士の仕事とは、一体どういったものだったのでしょうか?

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武士の階級による仕事の違い

武士と一口にいっても、実際にはかなりの差があります。

頂点に立つのは、もちろん徳川将軍であり、幕府の将軍直属の家臣のことを直参といいました。

直参の中にも、将軍と直接面会できる旗本と、面会できない御家人の区別があったのです。

さらに、各藩の藩主、藩主に仕える藩士がいました。

その仕事の内容は現代の公務員に近く、たとえていうなら、将軍が総理大臣、旗本が閣僚および官僚、御家人が国家公務員、藩主が知事、藩士が地方公務員といった具合です。

御家人は市中の巡回警備など、現代の警察のような仕事をしていたといいます。

藩士は城に仕えるものでも、月に数日とか、一日おきの勤めということも多く、総じて暇な状態でした。

仕事のない武士、いわゆる浪人も数多くおり、傘貼りや楊枝削りの内職をして糊口をしのいだり、畑を耕したりと、ずいぶん貧しい暮らしぶりのものもありました。

また、暇のあまりに借金をして遊興にふけり商人に頭が上がらないというような、まるで身分の逆転現象ともいえる状態があったといいます。

江戸時代の武士の給料

領地のない武士は、領主である主君から給料をもらって生活していました。

武士の給料のことを俸禄といい、米による現物支給が行われました。

支給された米は食べる分だけを取っておき、残りは現金化して生活費とします。

それぞれの藩の力によって、当然俸禄も変わってきました。

各藩には、徳川家の血を引く親藩、徳川家の家臣だった譜代、豊臣政権までは徳川家と肩を並べる大名家であった外様といった区別がされていましたが、参勤交代など外様の勢力を削ぐような政策がとられ、小さな藩は財政難にあえいでいました。

そのような藩では藩士の俸禄も少なく暮らしぶりは厳しくなります。

給料の額のことを禄高といい、石という単位で数えますが、禄高によって武士の階級ははっきりと分かれ、150石以上は上級武士、50石以上は中級武士、10石程度だと下級武士、さらには10石以下の貧しい武士たちもいました。

手柄を立てようにも戦がなく立身出生が望めない時代、下級武士たちは貧乏から脱けだす術もなく、上級武士から差別を受ける苦しい立場でした。

世襲制と仕事のない武士

武士の仕事は、父から子へと家督を継ぐことで受け継がれました。

だいたい40~50代で父親は隠居し、跡取り息子に家督を譲ります。

家を継げるのは長男だけで、次男以下は部屋住みと呼ばれ、そのままでは仕事もなく、結婚もできない立場でした。

男子のいない家に婿養子に入ることで武士として家督を継げることもありましたが、部屋住みとして生まれた全員が幸運にありつけるわけではなく、そうした場合は武士になれず、ほかの仕事につかねばなりませんでした。

家督の継げない武士たちがつく職業としては、武芸の腕を生かした剣術師範や、教養を生かして学問を教える寺子屋師範、ほかの武家や商家の奉公人になることもありました。

中には身を持ち崩し、賭博場や遊郭の用心棒になることもあったといいます。

跡取りは家督を継げる分、部屋住みよりは安定した立場でしたが、仕事は暇なことが多く、その分人づきあいが難しいといった悩みもあったようです。

暇な武士たちは人形浄瑠璃、歌舞伎などにのめり込み、江戸の文化を支えた一面もありました。

教養を生かした副業

武士は幼い頃から武芸とともに学問を積みます。

そのため、一般庶民よりはるかに高い教養を身につけていました。

仕事がなく、生活が苦しい武士たちは、そうした教養を生かした副業として小説や絵を描いて出版し、生活費の足しにしていました。

江戸中期は出版ブームともいえる時期で、数々の本が出回り、庶民の間でも人気となって貸本屋が繁盛していました。

才能を生かして本を書き、人気が出てその本が売れれば、大きな収入になります。

『金々先生栄花夢』を描いた黄表紙作家・恋川春町や『南総里見八犬伝』で有名な曲亭馬琴も、もともとは武家の出身です。

それぞれ恋川春町は次男、曲亭馬琴は五男という立場でしたが、作家業が当たったことで、副業が本業になったといえます。

そのほか、人形浄瑠璃の作者として知られる近松門左衛門もその父は福井藩士で、転勤や辞職を経て継ぐべき家督がない中、人形浄瑠璃の作者として身を立てたと思われます。

ヒットしやすい娯楽作品が多く生まれたことからは、生活のためという事情がうかがえますが、こうした本は人々に広く親しまれ人気を博しました。

江戸時代の武士の意地

働きたくとも仕事のない江戸時代の武士たちは、その存在意義を問われる立場でした。

ほかの農工商の身分の者たちが働いて納めた税金で、働かない武士たちを養う構図になるからです。

いつか起こる戦乱に備えるといっても、260年間戦がない状態ではその存在価値が薄れていくのも仕方がないところです。

そうした状況の中、武士たちは礼儀正しく、服装や立ち居振る舞いを洗練させ、道徳的に優れた態度をとるよう努めることで、存在感を高めようとしました。

清貧や体面を重んじる態度は“武士は食わねど高楊枝”といったことわざにも表れています。

また鍛錬や学問を修めることも庶民との違いを主張する上で重要なことでした。

帯刀や苗字を名乗ることを許されるなど特権を与えられた身分であり、生活が苦しいといっても地方の農村などよりははるかに恵まれた境遇でしたが、時代により息苦しい生き方を強いられ、その立場を守るためにはいよいよ自らを律しなくてはならないという複雑な事情を抱えていたのが当時の武士たちです。

江戸時代の武士たちにとって、立派な武士であること、武士としての意地を見せることが、一つの仕事のようになっていたといえそうです。

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